コロナ禍を仏教が救う!?




というかね、少なくともこのコロナの不安を仏教が和らげてくれるのではないかと思ってるんです。

ま、コロナの不安というか、仏教は人生すべての不安を和らげてくれるものなんですけどね、私にとっては。

毎日会社での10分休憩には仏教の本を読むようにしております。

どうしてもね、仕事をしてると心が荒むことがあるんです。

 

究極におっちょこなんで、うっかりミスとかしたりするし

決めつけ発言とかされると死ぬほどイライラしちゃうのでwテヘペロ

 

そんなとき仏教の本は、私の心の傷にキズパワーパッドを貼ってくれるんですよ。

自己啓発本とかよんだときはサビオを貼ってくれましたけどね、

仏教の本は完全防水キズパワーパッドですわ。

 

で、コロナね。

そうそう、コロナ。

仏教大好きなわたしですが、まだ悟れておりませんただの人間ですので

ついつい仏教の教えを忘れてしまうことや、まだ知らないことなどわんさかございます。

 

そんな中で、諸行無常なんていう言葉はもう、初期の初期に知って、腑に落ちているにもかかわらず

たまに抜けていることがあるんだと気付かされた次第です。

 

ちなみに諸行無常っていうのは、この世のすべてのもの(森羅万象)は常に変化し続けており

変わらないものなど何一つ無いという意味ですね。

 

でも思っちゃいません?

サラリーマンはよっぽどヘマしなければずっとこの安月給だけは死守できると。

もちろんそんなに増えませんけど、失う確率も少ないと。

私なんてそんなたくさんのお金は望みません。

その代わりに、安定した、ささやかな日々を選んだんですと。

 

いや〜「安定」してると思い込んでました。

今の会社で働いていて、「やめたろかな」とかしょっちゅう思いますけど、近い将来に会社がなくなるなんてことは

微塵も考えてなかった。

 

オリンピックが延期になるなんて、都市伝説は聞いてたけど本当にそうなるなんて。

あの、大好きな大好きな大好きな志村けんが亡くなってしまうなんて。

いつでも買えたマスクがお店から消えるなんて。

 

このコロナ問題によって、今、まざまざと諸行無常が証明されているという現実。

当たり前と思っている日常は全然当たり前なんかじゃないんですよね。

 

少ない給料でも、もらえるだけありがたいんやなあ。

文句ゆってごめんなさい。

でも、それすら無くなる可能性だってもちろんあるし。

それが、諸行無常ですもんね。

 

変わらないものなんて、何一つありません。

確固たる自分なんてものも、ありません。

明日死ぬかもわかりません。

大好きな人と二度と会えないまま終わるかもしれません。

 

だとしたら、今何ができるんだろう。。。

大したことはできませんが、じっと家にいて

ただ、いま元気で生きていることに感謝です。

 

あれがない!これがない!と言って無いことを嘆くより

これもある、あれもあると、あることの有り難さを感じて

感謝できる人になりたいと思う今日このごろでございます。

 

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新世界日記
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